中村八幡宮(真岡市)概要: 中村八幡宮は栃木県真岡市中に鎮座してる神社です。中村八幡宮の創建には諸説あり、白鳳4年(676)天武天皇の勅令で全国に建てられた八幡神社の1つとも、永承年間(1046〜1052年)に行われた前九年合戦の際、源頼義・義家父子が常陸、下野、上野の三国に石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊を勧請し戦勝祈願した八社の1つとして建立されたとも云われています(当時は八八幡と呼ばれたそうです)。
文治5年(1189)の奥州合戦の際、初代鎌倉将軍源頼朝が当事の領主中村朝宗を従え中村八幡宮に戦勝祈願を行い、見事念願成就、神意に感謝した頼朝は建久4年(1193)に33町の社領の寄進を行い、戦功により奥州伊達郡(現在の福島県伊達市・桑折町)の地頭に就任し朝宗も深く感謝意を捧げたそうです。朝宗は奥州伊達家の祖になった人物で、以後、中村八幡宮は奥州伊達家の崇敬社として社殿の造営や社領の寄進、宝物の奉納などを行い、特に、宝徳3年(1451)には伊達持宗によって本殿が造営されました。
江戸時代に入ると下館藩に属し水谷氏が藩主時代には社領が認められず冷遇されましたが、水谷氏移封後は幕府の庇護があり慶安年間(1648〜1652年)には徳川将軍家から若干の朱印地を下賜せられ、歴代将軍も追認しています。一方、仙台藩主となった伊達家も引き続き庇護が継続され天和2年(1682)には仙台藩4代藩主伊達綱村が本殿を再建、享保8年(1723)には仙台藩5代藩主伊達吉村が本殿を改修し、拝殿、神楽殿、社務所などを造営しています。古くから神仏習合し近隣十二郷の総鎮守として広く信仰を集めてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社に列しています。祭神:誉田別尊。
中村八幡宮を取り囲む社叢は寛永2年(1625)に氏子が社殿の造営に備える為に植えたものでヒノキ、スギ、ケヤキを中心に大木(御神木である大ケヤキは樹高30.5m、目通幹周4.9m)も多く昭和46年(1971)に栃木県指定天然記念物に指定されています。中村八幡宮の例祭である流鏑馬は元文元年(1736)、伊達吉村が神馬を奉納したのを記念して始まったとされ、一時中断していましたが昭和63年(1988)に再開されています。
中村八幡宮本殿は天和2年(1682)には仙台藩4代藩主伊達綱村が再建したもので、三間社流造、銅板葺き(元茅葺)、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造板張り、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成元年(1988)に真岡市指定有形文化財(建造物)に指定されています。拝殿は享保8年(1723)に仙台藩5代藩主伊達吉村が造営したもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。神楽殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、桁行2間、外壁は柱間建具嵌め込み、高欄付き、正面には「神楽殿」の扁額が掲げられ、例祭では神楽が奉納されます。
中村八幡宮の文化財
・ 中村八幡宮本殿−天和2年−三間社流造−真岡市指定有形文化財
・ 木造 狛犬(1対:阿形・吽形)−南北朝時代−栃木県指定重要文化財
・ 太刀銘義光附糸巻太刀拵−南北朝,長さ73.5p−栃木県指定重要文化財
・ 太刀銘盛重附糸巻太刀拵−南北朝,長さ73.0p−栃木県指定重要文化財
・ 刀銘包幸−江戸時代中期、長さ75.4cm−栃木県指定重要文化財
・ 脇差銘包幸−江戸時代中期、長さ58.0cm−栃木県指定重要文化財
・ 紙本墨書伊達綱村夫人願文-江戸,縦40p,横54p-栃木県指定重要文化財
・ 中村八幡宮の社叢(313本)−寛永2年植樹−栃木県指定天然記念物
・ ナツグミ−真岡市指定天然記念物
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