弘法太子社(那須温泉)概要: 案内板によると「 安政5年(西暦1858年)の山津波後、数十年過ぎたある日湯治に来ていた客が湯川の岸を散歩中に、河原の中で木彫りの大師像を見つけました。その像を畏敬し、当時の里人と浴客により、この地に社を建立し子孫繁栄と湯治客の病気快癒を祈願いたした社です。 那須町商工会湯本支部 」とあります。当時の温泉街は湯川沿いにあった為、安政5年(1858)の山津波では壊滅的な被害を受け18人の犠牲者を出しています。大師像がどこから流れ着いたのかは不詳ですが、災害の記憶が新しい時期に見つかったのは奇跡的で住民達は神意を感じたと思われます。現在の石祠は比較的に新しいものですが信仰の篤さが窺えます(※一般的には弘法大師ですが案内板を尊重して太子としています)。
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