奥日光:概要 |
奥日光は日光市街地よりも600m程高い標高1200m以上の地域を指し、概ね「いろは坂」を登りきった位置にある中禅寺湖から金精峠に至る一帯とされています。日光山内がある地域からも人を寄せ付けない場所にあり当時は絶界の秘境だったとされます。天応2年(782)、勝道上人がこの地を訪れると眼前には、後に日本三名瀑に数えられる華厳の滝や澄み切った中禅寺湖(面積11.62km2・周囲長25km・最大水深163m)、それに秀麗な山姿を落とす男体山(二荒山・標高:2486m・日本百名山)が見渡せ、周囲には煙を上げながら流れ落ちる湯滝、滝姿が美しい竜頭の滝、荒涼な風景を創り出す戦場ヶ原などがあり正に聖地に相応しい場所だったと思われます。勝道上人は男体山の山頂に登頂すると日光山を開き一大修験場として発展し日本有数の霊場となりました。又、勝道上人が発見したという日光湯元温泉があり夏季の間は湯治場として利用され明治11年(1878)にはイギリスの女性旅行家イザベラ・バードも利用し広く知られるようになりました(泉質:ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物温泉・効能:古くからリウマチや皮膚病などに効果があるとされます)。江戸時代に入ると、麓の日光山内には日光東照宮に徳川家康が、輪王寺大猷院に徳川家光が葬られた事で幕府の篤い庇護があり飛躍的に発展しますが、当地も奥の院的な意味合いから信仰され男体山の山頂には二荒山神社奥宮、中禅寺湖の湖畔には中禅寺や二荒山神社中宮が繁栄しました。明治時代に入ると奥日光の景観の素晴らしさや夏場の気温の涼しさから各外国大使館の別荘地となりました。 |
中禅寺湖 |
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華厳の滝
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男体山
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竜頭の滝
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二荒山神社中宮
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湯滝
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