塩原温泉(栃木県那須塩原市・観光):概要 塩原温泉の歴史は古く大同元年(806)に如葛仙という人が発見したのが始まりと伝えられています。承和9年(842)には弘法大師空海の入湯も伝えられ、塩原温泉にある天狗岩には弘法大師と天狗にまつわる伝説も残っています。古くからの史跡も多く大同2年(807)に勧請したと伝わる塩原八幡神社には康平元年(1058)には源頼義、義家父子が前九年合戦の折この地を訪れたとされ、源三窟では源義経の家臣源有綱が逃げ隠れた場所と伝わっています。門前では平重盛の妹と伝わる妙雲禅尼がこの地に逃れ妙雲寺を開山しています。
江戸時代には会津に抜ける街道沿いの温泉街として発展し、元湯千軒と呼ばれるほど多くの温泉宿が軒を連ねていましたが、万治2年(1659)の大地震で大きな被害にあった際には宇都宮藩の藩主奥平忠昌が再興に尽力しています。江戸時代末期〜明治時代初頭に発生した戊辰戦争では塩原温泉も戦場となり149戸の民家が会津軍によって焼き討ちにあっています。
明治17年(1884)に当時の県知事である三島通庸の指示による塩原街道(西那須野から塩原、会津若松市)が開通すると、飛躍的に知名度が上がり夏目漱石、谷崎潤一郎、斉藤茂吉、尾崎紅葉などの文豪達もこぞって塩原温泉へ訪れています。大正7年(1918)に田山花袋が出版した"温泉めぐり"において、塩原十一湯(大網温泉・福渡温泉・塩釜温泉 ・塩の湯温泉・畑下温泉 ・門前温泉・古町温泉・中塩原温泉・上塩原温泉・新湯温泉・元湯温泉)を温泉郷と取りあげると全国から湯治客が訪れるようになります。塩原温泉の共同浴場はむじなの湯、寺の湯、もみじの湯、鳩の湯、ゆっくりセンター、不動の湯、鹿角があります。
泉質: 硫酸塩泉を中心に十一湯それぞれ源泉が異なります。
効能: 一般的適応症、慢性婦人病を中心に十一湯それぞれ異なります。
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