大黒堂(鑁阿寺)概要: 大黒堂は永享4年(1432)に公文所奉行の再建と伝えられていますが、棟札には宝暦2年(1752)に満慶上人が建てたとされます。建築は寄棟、本瓦葺、平入、桁行1.5間、梁間1.5間、外壁が朱色に塗られ、校倉造(角材を水平に積重ねて壁面を造り、角で角材を交差させる工法。大黒堂では三角形の角材を重ねている為、断面が鋸状に見えます。)で宝物を収蔵していたことから宝庫とも称していましが忍空上人(鑁阿寺42世)の代で宝庫から足利家伝来の大黒天を祀り大黒堂と呼ばれるようになりました。鑁阿寺大黒堂は江戸時代中期に建てられた数少ない校倉造建築の遺構として貴重なことから足利市指定有形文化財に指定されています。本尊の大黒天は足利七福神の1柱に選定されています。
鑁阿寺境内
[ 太鼓橋 ] ・
[ 山門 ] ・
[ 本堂 ] ・
[ 多宝堂 ] ・
[ 経堂 ] ・
[ 不動堂 ]
[ 御霊屋 ] ・
[ 大酉堂 ]・
[ 大黒堂 ] ・
[ 蛭子堂 ] ・
[ 鐘楼 ] ・
[ 東門 ]
[ 北門 ] ・
[ 西門 ]
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