願成寺(佐野市)概要: 梅秀山願成寺の創建は宝亀年間(770〜781年)に大僧都智開法印により開かれたのが始まりとされ大同年間(806〜810年)に寺院として創建しています。天慶元年(938)に藤原秀郷(百足退治の伝説、平将門の乱平定)が現在地に境内を移し再興、その後衰退しますが建長年間(1249〜1256年)に領主となった佐野源左衛門常世によって臨済宗として改宗開山し境内を整備、以降、佐野家の菩提寺として庇護しました。佐野源左衛門常世は「鉢木(能の演目)」の話で有名な人物で、当時常世は一族の争いに敗れ半士半農の生活を虐げられいた時、ある大雪の日1人の僧侶が道に迷い常世の家に宿を求めました。
常世の家には暖を取る蒔きすらありませんでしたが、先祖から伝わる梅、松、桜、の鉢植えを蒔き替わりにして僧に暖をとらせてもてなし、身の上の話の中でいざ鎌倉という時があれば、例え破れた具足、錆びた刀、痩せた馬しか持ち合わせていなくとも逸早く駆けつけることを告げたそうです。しばらくして鎌倉から召集がかかり駆けつけてみるとあの時の僧侶は前執権(5代執権)で鎌倉幕府の最高実力者北条時頼その人で、常世のもてなしと忠節から旧領である佐野庄三十余郷だけでなく鉢木にちなんで三個の庄(加賀国の梅田庄、上野国の松井田庄、越中国の桜井庄)6万3千石を与えたそうです。
現在、願成寺境内の釈迦堂の附近の高台に常世の墓(宝篋印塔)があり本堂には位牌が安置、正雲寺公民館付近が常世の屋敷跡とされます。佐野源左衛門常世の墓は昭和39年(1964)に佐野市指定史跡に指定されています。境内にはその他にも板碑が2基あり昭和50年(1975)に佐野市指定文化財(歴史資料)に指定されています。本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行6間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、釈迦堂は入母屋、鉄板葺、桁行2間、正面1間向拝付。宗派:臨済宗建長寺派。
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