円通寺(益子町)概要: 大沢山虎渓院円通寺は栃木県芳賀郡益子町大沢に境内を構えている浄土宗名越派の寺院です。円通寺の創建は室町時代の応永9年(1402)に良栄上人(浄土宗鎮西流名越派の第5祖)によって開かれたのが始まりとされます。良栄上人は笈に後の住職の護持仏となる善光寺式阿弥陀三尊を入れて巡錫し当地に及んだとされ、この仏像は鎌倉時代末期の銅製の鋳造物として貴重な事から名称「銅造阿弥陀如来立像・両脇侍」として昭和35年(1960)に栃木県指定文化財に指定されています。
当時は大沢文庫を擁する学問寺として広く知られた存在で金沢文庫(神奈川県横浜市金沢区)、足利学校(栃木県足利市)と共に日本三大学府に数えられ、寺域には38棟の学生寮が設けられ、常に数百名の学僧が修行に勤しみ数多くの名僧を輩出していました。寺運も隆盛し最盛期には8万坪の境内に七堂伽藍が建ち並び末寺508ヵ寺を擁していました。天文10年(1541)、火災により多くの堂宇が焼失し一時衰微しましたが、10世良迦上人が再興を果たし天正2年(1574)には正親町天皇の祈願所、江戸時代には幕府から朱印状が発布され寺領が安堵されました。山号:大沢山。院号:虎渓院。宗派:浄土宗名越派の総本山。本尊:阿弥陀如来。
現在の表門は円通寺が開山した当初のものと伝えられる建物で(墨書は永正7年:1511)、切妻、銅板葺き(元茅葺)、一間一戸、間口3m余、総高6m余、四脚門形式、当時の寺院山門建築の遺構として大変貴重な事から昭和25年(1950)に国重要文化財に指定されています。一切経塔は江戸時代後期の文化6年(1809)に入山した四十世良範上人によって再興された御堂建築で、宝形屋根、銅板葺き、木造2層、桁行3間、梁間3間、正面下層部には花頭窓、上層部に丸窓、高欄付、当時は多くの書物が所蔵され大沢文庫の遺構として貴重な事から昭和33年(1958)に栃木県指定有形文化財に指定されています。
円通寺の寺宝である正親町天皇綸旨は天正2年(1574)に正親町天皇の祈願所にする旨を第10世良迦上人に宛てたもので、当時の円通寺の格式が判る資料として貴重な事から昭和52年(1977)に栃木県指定文化財に指定されています。上記以外にも円通寺には寺宝が多く木造良栄上人像(制作年:元禄8年1695年)、木造阿弥陀如来坐像、聖鬮賛(「初学題学習」(全4巻)の注釈書。元和9年1623年に奉納)、浄土総系図、月形函文書、浄土鎮西義名越派代々印璽脈譜、入定塚古墳が栃木県指定文化財に指定されています。
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