越堀宿(栃木県那須塩原市)概要: 越堀宿は江戸時代初期の寛永12年(1635年)、仙台藩の藩主伊達家が参勤交代で仙台の帰国途中に大雨となり那珂川が増水し渡れなかった為に仮の宿所を設営したのが始まりとされ、正保3年(1646)に正式に奥州街道の宿場町となりました。江戸日本橋からは24番目にあたり、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10〜11軒、総戸数113軒が軒を連ねていました。享和2年(1802)旧暦6月19日(西暦7月18日)には第三次伊能測量隊も越堀宿を利用しており本陣河内屋源蔵邸で宿泊しています。越堀宿は黒羽藩領に属するものの、天領に属した鍋掛宿と距離も近く2つの宿で1つの宿場の役割を担い、藩領が入り組んでいた為、江戸時代後期には数箇所に藩の境界石が建立され、その内の1つが浄泉寺の境内に移築保存されています。現在は緩やかな曲線道路ですが宿場の出入口は枡形だったようで越堀公民館前には「此の地 奥州街道越堀宿 枡形の地」と彫り込まれた石碑が建立されています。明治時代の大火により多くの建物が焼失し、道路の拡幅工事などで当時の宿場町の雰囲気は失われています。
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